藤村記一郎(合唱劇「カネト」作曲者)
  私は、愛知県で29年間高校の数学教員をしながら、作曲や合唱団活動などを続けてきて2年前に退職。今は作曲家と名乗って音楽活動に専念している。1986年には、「ぞうれっしゃがやってきた」という、名古屋の東山動物園での戦争前後での実話~勇気ある園長が自らの命をかけて軍の命令に抗しゾウの命を守った~を合唱にした。大人と子どもでともに創り上げる40分ほどのミュージカル風の曲。そして、これが全国でずっと歌い続けられている。もちろん北海道でも。あのトンネル事故のあった古平町では「ぞうれっしゃ」のコンサートを行う直前に事故があり、団員が亡くなった。その追悼の思いで開かれたコンサートから合唱団は「古平・積丹ぞうれっしゃ合唱団」としてずっと今も歌い続けている。
あるとき、「ぞうれっしゃ」を歌う人から、1冊の本「カネト~炎のアイヌ魂」(沢田猛著・ひくまの出版刊)を紹介された。北海道・旭川のアイヌの川村カ子(ね)トさんが、私の故郷・豊川を通るJR飯田線がつながっていなかった時代に鉄道測量のためにアイヌ測量隊を率いて来られ工事にまで携わったという実話。これには衝撃を受けた。このこともぜひ合唱曲としてつくり、歌い広げながら、隠された歴史の事実を伝えていきたい、そう思った。何度も旭川や工事の現場である天竜峡に通った。そして、2000年に飯田線の起点である愛知県・豊橋市と豊川市で2回の初演コンサートを行った。カ子トさんの激動の半生を描く90分の大作となった。
その後ずっと飯田線沿線で歌い続け、今年はその飯田線全線開通70周年。また川村カ子トさんの没30年にもあたる。来年は生誕115年でもある。初演する前からご当地・旭川での上演を夢に見てきた私たち合唱劇「カネト」を歌う合唱団としては、この機会にどうしても旭川での上演をしたいと考え、その日を来年2008年の7月20日と決めた。ここは3連休で、愛知県からアマチュア合唱団が旭川までやってくるための必須条件だ。もちろん、愛知県の合唱団だけで歌うのではなく、旭川市民のみなさんとともに創り上げたい、と考えた。
今年6月旭川を訪れ、たくさんの方々にその思いを伝え協力を呼びかけた。カ子トさんのことはみなさんご存知だが、鉄道測量技師としての半生についてはほとんどの方が「初めて知った」と驚かれた。初めは、「なぜカ子トさんのことを愛知県の人が?」と疑問を持たれるが、「私たちにとっては飯田線全線開通の恩人なのです」「このことはずっと歴史の影に隠されてきました」と事情を話すと、多くのみなさんが共感してくださった。たくさんの良心的で熱心な方々に出会うことができ、おおいに励ましていただいた。  
その勢いで旭川市役所教育委員会生涯学習課を訪れ、なんとか来年の7月に市民文化会館を借りられないか、とお願いした。市民のみなさんがたくさんの希望の中から抽選でとっている会場を、特別に優先して確保してください、というのは申し訳ない気持ちもあったが、その日を逃すと様々な条件からほぼ実現は難しくなる、というぎりぎりの判断をしていた。そして、その翌日、旭川市教育委員会から、この取組みへの共催を伝えられ、本番の会場確保をしていただけることとなり、「ようやくこの音楽会実現の第一歩が踏み出された」と実感した。
7月には、今年2回目の旭川。今度は6月にお会いした方々と実行委員会の準備会を、喫茶「ちろる」で行った。そこにもまた新たな協力者の方がいらっしゃって、輪がどんどん広がってきていると思った。音楽関係・演劇関係・文化運動・アイヌの運動、ほかこの旭川でよりよい文化をつくりあげていこうという方々の熱い思いを感じながら、「大雪」の良く見える空港をあとにした。
実行委員会の呼びかけ人には多くの方がなっていただき、今後もどんどん呼びかけ人を増やしていこうと確認し、その呼びかけ人の代表には三浦光世氏にお引き受けいただいた。実行委員会スタートは9月11日(火)18:00市民文化会館。関心をもつ多くのみなさんが集まっていただけたら、ととびきり大きな会議室をとった。9月に3回目の旭川。楽しみにしている。
2007年7月25日